因果応報という言葉、なんとなく恐く感じてしまいますが、実は、人生の道しるべのような言葉なのです。因果応報は、悪い方に用いられることが多いのですが、実は良いことをすれば、良い報いになって戻ってきて、悪いことをすれば悪い報いがあるということを言います。
普段、当たり前のように使っている言葉が、辞書を引くと、実は違う意味だったりすることは、意外と多いですよね。それって、大人としても日本人として、すごく恥ずかしいことだと思いませんか。
特に、因果応報は、仏教が起源の言葉で、我が国にお寺はたくさんありますし、日本人ならきちんと理解しておきたい言葉のひとつです。
実際、因果応報によって悪いことが起こった場合は、自業自得という言葉がきちんとあるんですよ。しかし、自業自得より因果応報の方が、悪いことが起こったようなイメージなのは、やはり言葉やその言葉による教えをきちんと理解していない私たちに責任があるのでしょう。
そこで今日は、因果応報の意味をきちんと理解する為の解説と、それを踏まえた上での生きる知恵をお伝えします。
人にやさしくすることは自分にもやさしいという事を覚えておこう
情けという言葉は、情に訴えるような感じの言葉ですが、人を思いやるやさしい心の働きの事をいいます。これを聞いて、「情けは人の為ならず」という言葉の意味を履き違えていたと思った人もいるのではないでしょうか。
自分がかけて欲しい情けを人の為にかけることは、良いことだという教えですが、要は、良い対応や印象を与えれば、相手も同じ様に反してくれるというものなのです。
多くの人は、同情するのは、その人の為にはならないと解釈していますよね。完全に真逆な意味になってしまいますよ。情けをかけることは、やさしく思いやりのある行動を取るという、愛情溢れた行為です。
簡単に言うと、「人にやさしく」を常に念頭に置いて行動すれば、自分も周囲の人も幸せになれるという人生の訓のようなものなのでしょう。
因果応報の良いことの意味を理解しよう
冒頭で、良いことをすれば、良い報いになって戻ってくるとお伝えしましたが、この良いことの意味を履き違えないようにしてください。
例えば、ボランティアなどの他の人の役に立つことは、とても良い行いですよね。しかし、嫌々やっていては、因果応報にはならないのです。
心から、お手伝いをしたい、役に立ちたいと思わなければ、ただの偽善ですよ。お手伝いできることがうれしいと思う心を持ってボランティアをすれば、きっと、あなたに良い報いとして戻ってきます。
ただし、感謝されるのは嬉しいことですが、褒め言葉や賞賛は、さらっと流しましょう。うぬぼれてしまい、傲慢になってしまうことがあるからです。良い行いは、陰となって行うものだと理解してください。
悪い行いは小さいことでも自分に戻ってくるということを覚えておこう
子どもの頃、隠れて、ちょっとした悪いことをしてしまった人もいると思います。でも、その悪いことは、親や先生にばれてしまったり、その行いの後、嫌なことや悪いことが起こったのではないでしょうか。これが因果応報です。
悪い行いというのは、どんな小さなことでも心に記録されているといいます。しかし、その行いを注意や叱責されることで悪いことだと理解し、過ぎた過ちについても、心からの反省と悔い改めこそが、自分の心の中の救いにつながるんですよ。
その救いは、無限の愛と知恵の源になるのです。その為、隠れて行う悪い行いは、注意されることもなく、反省などもしないということですよね。
悪い行いが当たり前になるとその人には、悪い心や気しか寄ってこなくなってしまいます。因果応報とは、隠れて悪いことをするなという教訓でもあり、人生を真剣に正しく生きましょうという、道しるべなのかもしれませんね。
人を苦しめることは自分を苦しめることだということを知ろう
苦しみは、苦しんでいる周囲の人にも連鎖します。家族の一人が苦しんでいれば、それをどうにかしてしてあげたいけど、どうにもならないなどの、新たな苦しみが生まれてしまいますよね。
苦痛が連鎖してしまうと、発生源である人の所に戻ってくるのです。これは、総ての生命は、1つの命につながっている為、他の命を苦しめていると同時に、実は自分自身の命を苦しめるという仏教の壮大な教えなんですよ。
これが因果応報という言葉から頂く事の出来る知恵で、自分にも他人にも、責任が取れるような行いをしていきましょうということを教えてくれているのです。
目に見えるものだけが全てではないということを理解しょう
普段、私たちは、自分の目で確かめるとこが出来たことを信用します。しかし因果応報では、目に見えるものが全てではなく、人の心やご先祖様の魂や想いを受け入れましょうという教えも解いているのです。
何かあった時に神様や仏様、そしてご先祖様にお願いしてしまいますよね。目に見えないものがあるということは、認識しているということです。
でも、普段から信仰していたり、ご先祖様を敬うことをしていない人が何をお願いしても、手助けしてもらえるはずが無いと思いませんか。だからこそ、今、ここに存在していないものに対しても、敬ったり、感謝する心が大切だということなのです。
見えるものをきちんと見て、正しく判断し、見えないものにも感謝の心を忘れなければ、魂がきっとあなたを守ってくれるでしょう。
さて、因果応報という言葉のイメージがきっと変わったと思います。元々は、全てのものを慈しみ、大切にし、それを実行すれば、あなたも、周囲の人も幸せになれるという温かくやさしい知恵なんですよね。
悪いことはしてはいけませんよ、嘘や人を傷つけることもダメですよということを、怖いイメージを強くして私たちに教えてくれているのだと思います。
そうすることで、人生の最後を後悔することなく、安らかに旅立つことが出来、その結果、魂がさ迷わずに天国にいけますよという1つの導きなのでしょう。
因果応報という言葉を常に心の中に置き、今後は行動していきたいですね。でも、良い行いとは、相手が望むことを自然に行う事です。
相手が望んでいないことをするのは、おせっかいになってしまうので、くれぐれも注意してくださいね。私たちも、因果応報という先人の知恵を、未来に引き継いでいきましょう。
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