因果応報という言葉があります。
これは過去の善悪の行為が原因となりその結果として現在に善悪のものごとがもたらされるという意味です。人生は、とても不思議なもので、よい行いをすればよい報いがあり悪い行いをすれば悪い報いがありますよね。
今まで、他人を批判してばかりの人たちとつき合って来たとしたら、いつのまにか自分もそのようになっています。そして、物事がうまく行かない時は、それが根本の原因である場合もとても多いです。そこで今日は因果応報で人生を好転させる3つの方法についてお伝えします、ではご覧ください。
因果応報で人生を好転させる3つの方法
人の義を大切に
私は人と付き合う上で「儀」を大切にしています。平たく言うと「裏切らない」こと。これは簡単そうに見えて実は結構難しいことなのではないでしょうか?
例えば
・仕事やプライベートで、自分だけが良い思いをするような仕組みは作らない
・周りの友人やチームの皆が良い恩恵を受けられるようにする
お金や利益が絡むと人間、目が眩むこともありますでも、そこで「グッと」踏みとどまる。
よい行いをすればよい報いがあり悪い行い をすれば悪い報いがあるのですから感謝の気持ちを忘れずに、人に良いことをしましょう。それは巡り巡って必ず自分に帰ってきます。
怖いことを言えば、儀を通さぬ者の周りには、不思議と同じような人が集まってきます。つまり人を裏切るひとは、いつか必ず裏切られる、、、。
因果応報、これは変えられぬ自然の摂理。ですからまずは、人の儀は大切にしましょう。
知らないことを認める勇気をもつ
無知を恥じる必要はありません。知っているふりをしてしまうことを恥じてください。私たちは普段の何気ない会話の中にある進化のチャンスをとても多く逃しています
それは「知っているふりをすること」
たとえば「こないだ○○ていう映画みてさ、俳優の□□の演技すてきだったよね」という会話があったとします
話を合わせるために、結構な場面で、本当は知らなくても「○○」や「□□」の部分のことを知ったかぶりしてしまいませんか?
これはとても残念なことです。
何気ない会話の中には新しい情報を得るためのチャンスがたくさんあるんです。なのに、それを自ら潰してしまっている。そして、これは癖になります。
「知っているふりをする癖」
もちろん自分では気がつかないうちに無意識に、、、、です。
こうなると、かなり厄介、いつの間にか自分で新しい情報を遮断して鎖国状態になってしまうのですから、成長が止まってしまいます
自分がまいた種で、自分が損をする、因果応報の法則。
そして、それだけでなく、本当は知らないのに知っているふりをして話をするから「会話が浅くなる」。相手からすると「つまらない人」になってしまいます。
これは良くないですね。ですから出来る限り知っているふりはやめましょう一時の恥を恐れるその行動が、自分で自分の首を絞めることになります
知らないことに対しては素直に認める勇気を持ちましょう。
「それは何?」と聞けばいいだけです。相手はそのことに興味があって話をしている訳ですから、あなたも興味を持って聞けば、相手も決して悪い気はしないでしょう。なぜならば、あなたが共感者になってくれるのですから。
ですから、素直に認める勇気を持ってください。無知を恥じる必要はありません。知っているふりをしてしまうことを恥じる意識をもちましょう
「知らないことを認める勇気をもつ」ぜひ気に留めておいてください。
親の意識があなたを支配している
親子で似るのは顔だけではありません。あなたが持っている「意識」や「思考」、そのほとんどは実はあなたの「親」のコピーでしかないんです。つまり親の行いは子供に伝染するということ。
親から子供に、世代を超えた因果応報
私のセミナーに参加したことのある方々とっては周知の事実ですが、
私たちの
・モノの見方や考え方
・性格
・行動、言動
の多くは親のコピーです
しかもそれは、本人の意思とは関係なく無意識に刷り込まれた取れない癖のようなものですからすごく厄介です。
意識の高い親や、いわゆる、よくできた親の子は健やかに育ちます。意識も高く、コミュニケーションも良好に。
しかし心を病んだ親、問題のある家庭に育った子は将来同じ問題を抱えることが非常に多いのです。
コピーしますから
・性格
・ものの見方
・考え方、行動、言動
そして、さらには「環境」までも、、、。
これはとても悲しいことですが、母子家庭で育つと離婚率が高い傾向にあります。理由は、、、、もう、わかりますよね。
両親が揃っている家庭のイメージが無い。そして、それよりも強いイメージがあるから無意識にそこへ向かってしまう。
一番リアルな大人のイメージは「親」、一番のお手本も「親」ですから、本人が望む、望まないは関係なく、子供の意識は強いイメージの方へと向かいます。
ですから、もしあなたがすでに親であるなら、子供が良いイメージを受け取れるようにあなた自身にメスを入れて、子供にとって最良のお手本になってください。
「子供はあなたの鏡です」
子供のメンターは紛れもなく「あなた」なのですから。そしてもし、あなたがまだ独身であるなら親から受け継いだ「負の遺産」を今すぐに捨てましょう。
その時に初めて
・自分の考え
・自分の意思
・行動、言動
で自分の未来を切り開くことが出来るようになります。世代を超えた因果応報の連鎖。あなたの世代で、それを断ち切りましょう。
さて、次の記事では「射幸心」についてお話していきます。
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こんにちは、小学2年生の子がいじめられ、一度は許したものの、再度すごく下に見られている酷い事があり、立ち直れないでいます。いじめていた子供の事を本当に許せない大人の自分がいます、我が子は歳より幼くて勉強も運動も出来なくて自分にソックリです、親子で色々勉強なり頑張っていますが、学校へ行かすのがたまらなく不安です。もう気持ちがその事でいっぱいでズタズタです、この先どの様に過ごしていけばよいでしょうか、宜しくお願いします。
因果応報、必ずあります。
主人の姉をみててつくづくそう思います。
謙虚に生きていこうと思います
私の人生の中で出会った事の一つに、全てを受け入れ、負けを認めて自分を認める事に気付かされる機会がありました。
それは、残酷で厳しいものでした。
今起こっている事全ては、自分が選択し選んだ道だと言う事への気付き…決して人のせいではない現実。
途中下車するのも自分、自分を信じて続けるのも自分。
自分を受け入れる事こそ、人を受け入れる最初の一歩でもある。
それに気付かせて頂いた時期がありました。だからと言って何かが変わる訳ではなく、そんな自分を受け入れる事こそがあなたにとって必要かと、その時の自分を思い出していました。
人を通して自分が見えてくる事がありました。参考になると幸いです。
こんばんは。
まさに親の因果応報と戦いながら
43歳になっちゃいました。
まだ、勝てません。
子供と孫にまで連鎖させたくありません。
よろしくお願いします。
福祉の仕事一筋で働いてきました。社会的評価が欲しくて福祉の仕事をしてきた訳ではありませんが、社会的も非難される仕事では無いはずですが、福祉の世界から離れることとなりました。今まで福祉の対象者の方に、十分とは言えないかもしれませんが、私なりに一生懸命損得無しに対応してきたつもりです。しかし、正直、仕事は過酷でした。その上、制度化変わるにつれて、どんどん過酷になり、疲れ果てて辞めて行く職員激増。私ももう頑張れなくなり、続ける事が困難ななりました。若ければやり直しもききますが、40歳超えれば転職と言っても、福祉以外の業界は難しいです。どんな人も”素晴らしい仕事ですね”とはいいますが、その言葉の裏には”私だけは福祉の仕事はしたくないわ”というのが見え見えです。福祉に対する国の報酬評価も、アルバイト程度の低賃金。施設も”使い捨て”姿勢が露骨。それで頑張れといわれても・・・・心も生活も疲弊してしまいました。営利を主体とする仕事ではないのに、なぜ福祉の仕事に携わっていると仕事を失い、貧しくなっていくのかが不思議です。悪いとこをしていないのに、どうして仕事を奪われる結果になるのか? 福祉が良い仕事だという気持ちが既に奢りなんでしょうか? 選んだ事自体悪かったのでしょうか?何でも”因果応報”に当てはめられてしまうと、無能力な私が生きていも仕方ない様な気がしました。
こんばんは、松島です
福祉関係のお仕事をなさっていたのですね
確かに仰られるとおり、日本の福祉関係の労働環境は酷いですね、、、
私の友人もそのような仕事をしている人間が居るので
辛い話や、公の場ではとても書けないような悲しい話をいくつも聞いています。
福祉が良い仕事だという気持ちは驕りではないと思いますよ
駄聖人さんの意思や理念をもって行ってこられたものであれば
誇りにすらなるはずです。
ひとの幸せや価値はそれぞれですから、お金や環境を整えて
金銭的に裕福になることだけが喜びではないと私は考えています
現状を変えていくプロセスなどにかんしても
このブログでお伝えしていく予定ですので
もしよければ、たまに覗きに来てください。
駄聖人さん、私は心から尊敬します。
無償の愛をかけてこられたことと思います。その方たちはそれ以上に感謝してくださっていると思います。沢山の愛と感謝でいっぱいですね。
お金があっても自分だけ良ければよいと、人にひどいことをする人もいます。
心の寂しいみじめな人だと思います。そんな人はいくらお金があっても心から満たされることはないでしょう。
そこに愛があったかで幸せが決まると考えています。
今はお辛いでしょうが、今まで人のために頑張ってこられた駄聖人さんに、ご自身の体も大切するように、大切にしていいんだよとのメッセージ、転機かもしれません。
この先も愛が取り巻きますように。