ネガティブな時に意味がある!人生大逆転した7つの体験談


やり直しがきかない大きな失敗をしてしまったり、する事なす事すべてが上手くいかなかったり、人生最大の失恋をしてしまったり… 絶望の淵へと突き落とされたような気分のとき、なかなかネガティブな時に意味を見いだし、苦しい状態から脱出するのは難しいですよね。

しかし多くの場合、そのネガティブな時には意味があり、事態を好転させるヒントが隠されているのです。起こった事実をただ嘆き続けるのではなく、状況を理解して自分のできることを探り出し、それを諦めずに実行し続けていけば、ネガティブになる前よりも状態をさらに良い方向へと転換していけるチャンスは必ずめぐってきます。

重要なのは、与えられた人生を簡単に捨ててしまわず、置かれたネガティブな状況の意味を考えること。実際に人生大逆転を起こした7人の体験談をご紹介します。

引きずらずに前へ進もう

Aさんには、大学時代から7年間付き合っている恋人がいました。社会人になってからは毎日の残業や時々の休日出勤で彼女と会う時間が激減しましたが、やりがいのある仕事を精力的にこなしていました。

実力を認められて重要なポジションに昇進したのを機に、Aさんはそろそろ恋人との結婚を考えていましたが、何と彼女はそっけないAさんが結婚する気がないと判断し、お見合いをして彼の元から去っていきました。

自分はネガティブで無意味な存在でしかない… 失意のどん底へと突き落とされたAさんは、数ヶ月間体調を崩してしまいます。

意気消沈しながらも何とか会社で働いていた彼ですが、中途入社した女性に指導をしていくうち急速に親しくなり、トントン拍子でプロポーズ、結婚式をあげ、現在は子供にも恵まれ幸せに暮らしています。

 

運命を受け入れ乗り越えよう

バブル期に一流といわれる企業に就職したBさんは、このところの不況で突然解雇を言い渡されてしまいました。同僚も何人も職を失い、皆家族を支えるために職安などで就職口を探しています。

しかし、転職経験もない中年男性の再就職への道は険しく、なかなか面接までもたどり着くことができません。スタートラインまで立つことができない…と、ネガティブにしか意味を考えることができなくなったBさんは自暴自棄になりかけます。

すると、やっとある企業から面接の連絡をもらい、緊張しつつも張り切って面接に向かうと見事合格。小さな職場のおかげで入社当初から重要な仕事を任せられ、以前よりも生き生きと働いているBさんは、解雇された意味は、現在の輝きを引き出すきっかけだったのだと理解しているそうです。

 

支えてくれる皆に感謝して経験をステップにしよう

Cさんは高校時代からテニス部に所属する活動的な女性でした。しかし大学に進学した途端、急激なダイエットが契機となり拒食症になってしまいます。

それまでは健康的な体型で日焼けもしていたCさんですが、ガリガリに細くなり顔色も青白く、周りから痩せ過ぎと言われても耳に入りません。体力が極端に落ちたので、もちろん大好きなテニスはできません。

歩く屍のような状態で、家族も友人も皆不安で一杯。そしてとうとうある日、酷い貧血で気を失い、病院に運ばれました。栄養失調の上、貧血の値も高く、そのままの状態が続いたら最悪死も免れないほど危なかったそうです。

幸い拒食症患者の診療経験が多い医師が担当し、完治まで親身になって治療に当たってくれたので、元の丈夫な体に戻ることができました。

その後、彼女は拒食症というネガティブな経験に意味を見いだし、栄養学を勉強し始め、栄養学科のある大学に編入し、管理栄養士の資格を取得、現在は公認スポーツ栄養士として活躍しています。

 

ネガティブな中に光を探して努力しよう

小学校中学校と、同級生に壮絶ないじめを受けていたDさん。辛い毎日を先生にも親にも言えず、精神はボロボロになり、一時は自殺も考えるほど深刻に悩み苦しんでいました。

学校に行くのをやめようかと何度もネガティブに考えましたが、何かネガティブな中にも意味があるのかもしれない思いとどまり、唯一の望みである地元から離れた高校へ通うため、懸命に勉強します。

そして高校受験に挑んだDさんは、晴れて念願の高校に合格。小中学校時代とは全く違うワクワクした嬉しい気持ちで毎日学校に通い、新しい友人たちに囲まれて楽しい高校生活を送っています。

 

境遇を悲観せず諦めないようにしよう

Eさんの両親は共に身体が弱く、Eさんが生まれたときから生活保護を受けていました。そのため、Eさんの子供時代は惨めなもので、ほぼ毎日同じ服で学校に行き、おもちゃも買ってもらえず、友達の誕生日会にはプレゼントが買えないので行けませんでした。

そしてEさんが中学生の時に父親が他界、母親は病に伏してしまいます。Eさんは新聞配達のアルバイトでどうにか生計を助けるという生活を強いられ、とうとう高校生の時に母親も失ってしまいました。

親戚付き合いもなかったため、たったひとりになってしまったEさん。自分が生きている意味はないのかと絶望するも、どうにか高校を卒業し、就職します。しかし大卒ではないので安月給。しかしEさんは人生を諦めませんでした。

ネガティブな状況の意味を理解し、意を決して5年後に自分で起業し、今では10人雇うほどの会社に成長しています。

 

災難に人生を支配されないようにしよう

Fさんは右脚が不自由です。25歳の働き盛りのとき、横断歩道を歩いていて右後ろから車に撥ねられ、右脚を骨折、腰に酷い打撲を受け、入院生活を余儀なくされました。

退院してからもリハビリは厳しく、傷みからも逃れられず、歩行困難の上に長時間椅子に座ることもできません。働き盛りで昇進目前の彼に降り掛かった災難は、人生をめちゃくちゃにしてしまいました。

会社側も交通事故の後遺症を抱えるFさんへの対応が難しいため、彼は自主退職を選択。失意の中、追い打ちをかけるように職も失ってしまったのです。

しかしFさんはそこで諦めることなく、自分がこのような境遇に置かれたネガティブな時の意味を考え、その状況を改善するためにできることを探し出し、オンラインでできる仕事を見つけました。通勤の必要がなく、自宅で、できる時間に働けるため、彼の身体状態にもぴったりな仕事のスタイルです。

 

過ちから学んだことを生かそう

人付き合いが苦手なGさんは、会社の精神的なストレスからお酒にはまり、アルコール依存症となってしまいました。家庭で暴力もふるい始め、家族にも捨てられていしまいます。

孤独に苛まれながら、症状は悪化する一方。給料をすべてお酒に使ってしまうため、ガスや電気、そして電話も止められてしまいました。もちろん貯金はゼロ。職も失い、ほどなく車上生活を余儀なくされます。

あっという間に奈落の底へと落ちてしまったGさんでしたが、ある日、白い杖を持って視覚障害者用のブロックを探りながら歩く、同年代の男性を見かけます。彼の様子をしばらく見ていたGさんは、障害を抱えながら生きる彼の苦労を想像して、ネガティブな時に意味を見いだせなかった自分がひどく恥ずかしくなり、その日を境に人生の巻き返しを図ります。

依存症回復セミナーや自助グループに参加し、ついにアルコール依存生活から脱却。自分が経験した意味を無駄にしないよう、依存症治療施設で働かせてもらえることになりました。

 

このように、いかに苦難や挫折の時、たとえ悲観的に考えてしまっても、そのネガティブな状況には意味があるはずだと諦めず、どれだけ踏ん張れるかで、その後の運命が全く違うものとなってくるのです。

落ち込んでいるだけでは状況は何一つ変わらない。もちろん、失敗やアクシデントが起きてしまった時や、どん底の苦しい時期に気持ちが揺らぐのは当たり前です。

しかし感情に支配されて悲観し続けるのではなく、悔しさや悲しみを胸に抱いたまま、辛くても前を向いてその状況の中で自分ができることを探し出し、それを地道に実行していくことで、未来の方向は変化していきます。

偉業を達成した多くの人々は、窮地に立たされた経験を持っています。彼らの精神力を見習って、決して諦めず、自分の力を信じて前進し続ける努力をしましょう。

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